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カテゴリ:考えたこと( 9 )

2010年 08月 30日
新久喜市で 

行った・見た・考えた  @かず子


  正直申しまして他地域のことは、まだまだ分からないことばかり。

しかし会派で、6月1日に鷲宮・栗橋地区の、22日に久喜・菖蒲地区の市内視察を行い、その短い時間の中でも、それぞれの地域の文化や歴史や自然に触れて「いい所だなぁ」と思うことしばしば。
「合併したことによって、これみんな市内になったんだ」と実感。
総合病院を2つも有し、東北道と圏央道が走る新久喜市には新たな可能性も感じます。
分からないことがあっても、教えてくれる人もいる。
「調べる・見つける喜び」と考えれば楽しい。
合併して5ヶ月余、地域が広がり、新しい出会いがあり、新たな視点、見えてきた地平があります。そこから良いものを生み出して、新しい久喜市のこれからに活かしていきたいと思います。

 新久喜市は新しい自治体です。
合併協議で「新市で決める」としてきたことを、これから本格的に議論していきますが、私は「どこかのまちのやり方に合わせる」のではなく「新しいまちに合ったものを作る」のだと考えています。
私たち一人ひとりが「新しい自治体をつくるぞ!」という気持ちが、より暮らしやすい「新久喜市」をつくり上げるのだと信じて、これから活動して参ります。 
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by ootani-kazuko | 2010-08-30 10:15 | 考えたこと
2010年 03月 23日
久喜市になりました!
とうとう久喜市になりました。

今朝、新聞を読みながら飲んだ紅茶の味も、洗濯機を回す回数もなんにも変わらない。
それもそうだ、物事は「チャンネルを変えるようには変わらない」と40年以上生きていると知っている。
先日、小学校を卒業した息子も、まったく中学生になる気配もないが、彼も少しずつ中学生になっていくのだろうな…。上の娘たちがそうだった様に。

毎日毎日「今」を積み重ねている。
「今」はすぐに「過去」に、「未来」はすぐに「今」に。動いていないように見えても確実に動いている。
生きているとは、そういうことなのだと私は思っている。

「変わらないものなんてない」

どんなに伝統として守ってきた物であったとしても、そこには月日の流れによる「物質的な劣化」は避けては通れない。
伝統を守りながら、忠実に再現しながら、守られている。「ずっと同じ」な訳ではないんだ。

人も、生きている限り変化し続けている。
私たちは止まっているように見えても、間違いなく進んでいるんだ。

世の中も、動きを止めない。

鉄道が主な交通手段だった55年前に、鷲宮(わしのみや)町と桜田村(一部を除く)が合併して鷲宮町が誕生した。

55年経った今は、一家に2台3台と車をもつ家も増え、道路網も整備された。車でほんの20分で菖蒲のショッピングモールまで買い物にいける。栗橋の総合病院に通院する人もたくさんいる。列車の本数も比べ物にならないほど増えた。隣の町が近くなった。

そんな中、久喜市、菖蒲町、栗橋町、鷲宮町が合併して新「久喜市」が誕生したのだ。

今日は何も変わらない様な気がしても、何日かして振り返ると、小さな変化が積み重なってるに違いない。(現に住所は変わってる)

合併し違う町になったのだから変わらないはずはない、むしろ大きく変わることも多いはず。

そして、この町の未来は私たち住民が決める。
そう、「誰かがどこかで決めている」なんてことにしてはいけないと思う。

出来るだけ変えないで、残して行きたい伝統や文化。地域の特徴。
でも、より暮らしやすくなるように、積極的に変えて行きたいこと。
それらにバランスよく取り組んで行けたら、きっと今よりいい町になる。

私は、そう信じています。
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by ootani-kazuko | 2010-03-23 21:43 | 考えたこと
2010年 03月 21日
合併課題
行った・見た・考えた@かず子


次世代育成支援行動計画(子育て支援計画)は合併時に統一されます。

現在の久喜市の計画がベースになるようです。また、介護保険制度も合併時に統一されます。

しかし、合併時に統一されないものも多く残ります。

上下水料金、国民健康保険、学校給食費などは現在の市町ごとの金額で継続され、ゴミの収集・分別方法などと共に2~3年かけて統一されることになります。

また、現久喜市の教育長が「新久喜市でも2学期制を進めたい」と言っているようです。

文教厚生委員会の視察で、久喜市の2学期制について伺ったのは「長所」ばかりでした。
3学期制をとっている自治体からは、3学期制の「長所」を聞きます。
どちらにも長所と同様に「短所」があるのが普通ではなかろうか、と思います。

学校現場からの率直な感想や手応え、保護者・児童生徒のナマの意見を知りたいところです。(私のところへは、3学期制を望む声も多く聞こえるのですが…。)
他の自治体では2学期制から3学期制に戻すところも出てきています。

2学期制については新市で議論される課題になりそうです。


とにかく、新久喜市には人口15万の「スケールメリットを活かしたまちづくり」という希望もあるけれど、課題も沢山あることは現実です。

私たち一人ひとりが課題と向き合い、名前は久喜市だけれど「新しい自治体をつくっていく!」という気持ちが大切ではないでしょうか。
その気持ちが、より住み良い自治体をつくり上げるのだと信じます。

私は「より暮らしやすいまち」久喜市が誕生するという希望をもって合併に臨みたいと思います。




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by ootani-kazuko | 2010-03-21 18:41 | 考えたこと
2008年 02月 15日
新しいスタート
 行った・見た・考えた@かず子  


新生鷲宮町議会は12人。

議席は少なくても、女性が3分の1を占めています。
議長も副議長も若い、議員の平均年齢も若い議会です。(約51歳)

少ない人数で、今までと同じ仕事があります。
人数が少なくなったというだけで、もう今までと同じではないのだと感じています。
12名の議員は、主義・主張はそれぞれだけど、みんな「この町をよい町にしたい」という気持ちで当選してきたと思っています。
私を含め12人の、これからの活動に注目してください。

「町政」は私たちの生活にとても身近で、生活に密接に関りを持っています。
議員一人ひとりの、議会活動に興味や関心を少しでも持って頂けたなら、この町はより住みやすい町へ変わって行くと思います。

2期目の大谷かず子、気持ちも新たに頑張ります。
「ドットコム」出し続けます。また、ご愛読よろしくお願いします。
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by ootani-kazuko | 2008-02-15 17:32 | 考えたこと
2007年 11月 03日
この4年間
議員になって丸4年が経とうとしている。
議員になろうと思ったのは、地域で3人の子どもを育てる中で直面した様々な場面がきっかけだ。

仲間たちとこんなことを語り合った。
「もっと子育てしやすい環境になればいいなあ」。そのためには、
「私たち子育て世代が、もっと町政に関心を持たなきゃいけない」
「地域で感じたことを伝えるルートがほしい」。
「地方分権の時代だし、これからは住民と行政の協働で新しい何かができるかも!」。
「みんなの声を役場に届けたいよね」
「町政ってどんなもんだか判らないから、だれか代表して見に行かなくちゃ!」

・・・こんな感じで町議選に立候補し、仲間たちに支えられて4年たった。仲間が新たな仲間を呼び、新たな視点と課題が与えられた。
保育園児だった末っ子は今や4年生、なのに振り返ってみると議会活動の4年間は「あ」っと言う間で、無我夢中のうちに過ぎてしまった気がする。

さて、この町の子育て環境は少しでも前進したのだろうか。

「子育て支援情報の一本化」を訴えたら「わしみやまち子育てガイドブック」が作られた。
「東地域にも児童館を」「乳幼児を抱えた親子が集える場所を」とお願いしたら、児童館のイベント「プチランド」が東コミセンに出張してくるようになった。イベントの後、遊んだり、おしゃべりして行ける「子育て広場」も開設された。しかし、いずれも常設には至っていない。
子育て中のお母さんに託児付きの講座「ママのリフレッシュ講座」が行われるようになった。
子育に自然に手を差し伸べてくれる人を養成しようと「子育てサポーター養成講座」も行われるようになった。
福祉課は「子育てネットワーク・ハッピー!」と協働して、子育て施策を前進させている。
役場内に「子育て支援プロジェクト・チーム」がつくられ子育て支援の充実に関する報告をまとめている。私が乳幼児を抱えている頃に比べたら、随分進んだようにも思えるが、夢に描いているのには、まだほど遠い。
他にも、教育・協働・防災について主に取り組んできたが、まだまだ途中、時間が足りないという感じだ。

一期目の議員ってこんな感じなんだろうか。
嬉しいことも沢山あった。私が議員になったことで、若いお母さんが議会を傍聴に来てくれて「視点が変わった」と言ってくれたり、「いつも読んでるよドットコム」と励ましてもらったり。私という存在で町政を身近に感じてくれる人が少しでも増えていたら何よりも幸せである。

「一緒に頑張ろう」と活動してくれる同年代の友人たち。
「若い人を育ててみよう」と見守ってくれて、時に力を貸してくださる先輩方。こうやって拙いドットコムを読んでくれる皆様。
本当に多くの方々に支えられて4年間やってこられた。皆さまへ感謝の気持ちで、一期目最後となる12月定例会に臨みます。
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by ootani-kazuko | 2007-11-03 22:37 | 考えたこと
2007年 01月 12日
四年目に入りました
議員になって丸3年がたち、4年目になりました。

三年間で何をしたかと聞かれたら、「子育て支援」「協働の町づくり」に力を入れてきました、と答えようと思っています。よく知っている身近な現実、沢山の仲間や友人たちとの繋がりで得られた知見をもとに勉強する機会が得られ、それを議会の場に活かすことができるようになりました。

「子育て支援」にご理解くださる方々が増えてきて、少しずつ実を結んできたように思います。これからも「鷲宮町で子育てしてよかった」と思ってもらえるような施策を提案していきたいと思います。
「協働の町づくり」は、まだまだ私自身も勉強しなければならないことを痛感しています。今後は、今まで以上に研修の機会を増やしていきたいです。また、仲間たちと「協働についての、勉強・研究の機会を作りたいね」と、昨年から温めている企画も、実現できるように努めて参ります。

 小さな町だからこそ、手を伸ばせばと届くところに町政はあると思っています。私たちの暮らしの中に町政があることを、ひとりでも多くの方に実感していただけるような活動を実践していきたいと思います。

 私個人は40歳になり、長女は高校を卒業します。しかし、下の2人はまだ小学生。まだまだ子育てもPTAも忙しい年になりそうです。
「PCのスキルアップ」「健康増進のため運動」もと毎年思っているのですが……。
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by ootani-kazuko | 2007-01-12 09:49 | 考えたこと
2006年 05月 25日
行った・見た・考えた@オオタニカズコ


2年間務めたPTA会長をこのほど退任した。
会長を引き受けてすぐに町倫理条例が施行され、2年目には「町PTA連合会会長」となり、「町議にしてPTA会長」という微妙な立場に。「PTA会長」は学校関係の議案に公正な判断ができない(利害関係がある)と見られ、仮に私が「公正な判断をした」と主張してもそれを証明する方法がない。そういうわけで、教育委員会への一般質問も質疑もダメ、教育関係議案の審議からの「除斥」(退席を求められる)など、「町PTA連合会会長」職は完全に議員活動の足かせとなった。(「除斥」を含め様々な制約があることを覚悟して会長を引き受けた。だから「除斥」にも従ったが、決して納得して退場していたわけではない)

「議員とPTA会長、どちらに重きをおいているのか」「退席ばかりさせられて、議員の役目・町民の代弁者としての役割りをどのように捉えてるのか」と、お叱りを受けたりもした。
確かに地方自治法や町倫理条例を根拠として学校関連の議案に加われなかったし、賛否を示せなかった。議員の責務を果たしていないというご批判はもっともであり、支援してくださった方々に申し訳なく思っている。
では、その2年間が無駄であったかと言うと、何事もなく議員をやっていただけならこれだけの「財産」を得られなかったと真剣に思っている。右も左も分からない当選直後の駆け出し議員だった私が、PTA会長を引き受け二年間活動したことで得たものは大きかった。
人前で話したり組織のとりまとめをしたり、何より「今ここで子育てをする」沢山の人と直接対話することで得たものは何物にも代え難い。「無駄だと思うから無くす」ではなく、「無駄にしない」「利益を生むものに変える」という新たな視点を持つことができた。2年前、PTA会長を引き受けなかったら、今の私はない。2年前の自分より、色々な経験を積んだ今の自分の方がずっと「視界が広く」「有能」で「働ける」と思う。

町の未来である「子どもたちの育ち」とそれを支援する地域の仕組みをつくる。
そのことが地域を変える力となり、今の財政規模でさまざまな施策を展開し、町に活力をもたらすようになったら素晴らしい。みんなの「つぶやき」を形にしたい。
沢山の経験をさせてくれた人たちに感謝し、この2年間蓄積したことを基に「子育て支援と地域づくり」を目指す活動を展開したいと思っている。
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by ootani-kazuko | 2006-05-25 18:21 | 考えたこと
2005年 12月 08日
学校給食のあり方について考えた
9月議会において「学校給食に弁当の日を設けることについて」という決議がなされた。



「決議」とは強制力を持つものではなく、「議会としての意思決定(アピール)」にとどまるのだが、個々の議員がどんな風に反対しようと、多数決によって議決の宣告があった時点で議会全体の統一した意思ということになる。



この「決議」を受けた教育委員会は、町PTA連合会に対し「一般会員(保護者)の意見を聞いてほしい」と要請。

町教育委員会は「弁当の日を設けること」について校長会、学校評議員、給食センター運営委員会、PTA等々から意見を聞きつつ、17年度中に結論をまとめるとしている。 今は、これら関係する部門の意見を集めている段階だ。



まことしやかに 「週に1回、お弁当になるんだって」 という話が出ているようだが、まだ何も決まってはいない。



この決議文に抵抗を感じるのは私だけではないはずだ。



経済効果を謳いつつ、「食育」という言葉を使って「学校給食の役割は終わった」などと「決議文」に書くのはいいのだろうか。 

学校給食法はどうなるのか。 

先般の国会で制定された食育基本法などにも抵触する部分があるのではないか。 



誤解を招くような決議文と言わざるを得ない。



この決議を、私は「学校給食全般」や「子どもの食」に関することを考えるきっかけと受け止めたい

実際、食をめぐる状況は、思っている以上に深刻だと感じる。

外食(買い食)・偏食・時間の不規則・マナーの悪さ・孤食など、子どもをとりまく食環境は急変していると言っていいだろう。 

食の問題を幅広く議論するのは悪くない。



給食が抱える様々な問題とは何だろうか。

たしかに食べ残し(残渣)が多いのも、考えてなくてはならないことの一つだ。

 しかし学校給食の役割は終わったのか。



「弁当作り」が家庭の教育力を高める方策のひとつとなりうるのか。

「弁当を作ってもらえない子ども」がいるかもしれない。 

それを思うと、私は胸が痛い。



ならば、給食か弁当か選べる選択性は考えられないのか。

考えたり、議論したりすることはたくさんあるのではないだろうか。その中から生まれてくるものが大切ではないのだろうか。



どんな家庭に生まれるか、子どもは親を選べない。 

学校は義務教育の間、行かなければならない場所。

どんな家庭環境にあろうと、学校は、どの子も同じ様に安心して過ごし教育を受けられる場所でなければならないと思う。



学校給食は(様々な問題を抱えつつも)子どもの健やかな育ちを保障する大切な部分だと考えている。




学校給食法


内閣府の食育推進担当ページ


食育基本法

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by ootani-kazuko | 2005-12-08 16:53 | 考えたこと
2005年 03月 04日
こんな「おかあさん」を したかった

現在16歳になった長女が生まれた頃、私たち夫婦は東京で共働きをしていました。

実家の親は働いていて忙しく、「里帰り出産」なんて思いもよらないことでした。東京には頼れる親も兄弟もいませんでしたから、本当に2人だけで赤ん坊を家族に迎え入れたことになります。
産院からアパートに戻った日から産休明けまで、オムツとオッパイと寝かしつける合間に家事を
するという「おかあさん」業。まだ22歳の、子どもみたいな「おかあさん」でした。

正社員だったので、産後8週の産休が明けてすぐ職場に復帰しました。
ほとんどの民間会社にはまだ育児休業という制度がなく、産休が6週から8週に伸びて間もなかった時代です。
毎朝、赤ん坊をオンブヒモで体にくくりつけて自転車をとばし、保育園に預けてからラッシュの電車に飛び乗って会社に向かいました。夕方7時ごろに会社から猛スピードでお迎えに行き、閉店間際のスーパーでとりあえず何か買って、帰宅して、夕食を作って家事をやってお風呂に入れて寝かしつけて。毎日がとても慌ただしかった。

母乳で育てていたのですが、職場復帰したあとも出続けるオッパイの処理をどうするかが大変でした。会社で絞って冷凍保存したり、それが出来ないときは捨ててしまったり。
お迎えの時間があるので、以前のような残業は難しい。つまり勤務時間内にどれほど緻密な仕事をするかが問われているわけで、今思い出しても本当によく働いたと自分を誉めてやりたい気持になります。小さな部署で小さな責任ではありましたが、私に任された仕事を十分にやっていたと思います。

長女は比較的丈夫な赤ん坊でしたが、それでも熱を出したり吐いたりと人並みの病気にはかかりました。そのたびに上司同僚に頭を下げて早退するのは、実に心苦しいものがありました。
後に、わずかな育児時間が貰えることになりましたが、周囲はそれを「権利」というよりも「恩恵」のように捉える時代でした。誰よりも頑張ってきちんと仕事の責任を果たして来たのに、30分早く帰ることがまるで「悪いこと」みたいに見られる。
夫の賃金では食べていけないことは分かっていたのですが、様々な葛藤の末、どうしようもなくなって退職しました。

あの時、育児休業制度が権利として確立されていて、育休から復帰した時にポストと机がある職場環境だったら、私は辞めなかったと思います。
1年、3年という長期のスパンで育児休業や育児時間が与えられ、職場復帰ができたらなあ。
母乳育児をして、また職場に戻りたい。みんなそう願っています。
現実には、堂々と育休を取れる企業はまだ少数です。出産・育児で一度職場を離れても同じ場所に戻れるのは、ごく一部の企業を除けば、公務員くらいではないでしょうか。

仮に1年の育休があったら、私は会社のトイレでオッパイを絞って捨てることもなかったろうし、冬の夜道を赤ん坊と大荷物を抱えて走る心細さも味あわずに済んだと思います。時間に追われず赤ん坊の成長に一喜一憂する喜びを得られただろうし、赤ん坊が病気になった時には純粋に病気のことだけを心配してあげられたことだろう。
あの頃は、長女が病気になると「一体何日会社を休まなくてはいけないか、その間の仕事をどうするか」で頭がいっぱいになり、とにかく早く保育園に預けられる所まで回復して欲しいと念じたものでした。


出産・育児は、女性の人生での最も大きなイベントです。
これを大切にしたいと思わない女性はいません。我が子の健やかな育ちを望まない母親はいません。
事情さえ許せば、乳児の間は手元において愛情を注いで育てたいのが当然だと思います。
それが理想だと強く思います。長女を育てる時、私はそんな「おかあさん」をしたかった。

しかし働く母親は、それぞれ個人の必然・必要があって働いています。
私たちは、学校で学び職場で鍛えられた仕事(職業)を通じて賃金を得、社会に貢献し、自己実現・人間的成長をはかるのが「社会人」であると教えられて来ました。

安心して子どもを産み健やかに育てることと働くことが矛盾なくできる社会こそが理想です。
しかし残念ながら、まだまだ日本の社会(企業)はそういう理想から遠い。そこをフォローするのが、地域と行政の仕事なのではないかと考えます。
乳児を預けて働きに出る母親の切なさ、忙しさ、綱渡りのように緊張する日々を思い出すと、育児休業を取れない職場にいる多くの母親たちに「みんなで手助けするよ!」と言ってあげることこそが求められているのだと思います。


今や、女性の雇用は私が勤めていた頃よりも更に流動化しています。
派遣社員という制度が広がりました。派遣の人たちには、産休も育休もありません。働かなくては食べていけないのに、子どもを生むことが失業に直結するのです。
夫たちの雇用環境もまた、妻が専業主婦の座にすわっていられないほど不安定になりました。いつリストラの対象になるか分からない、ローンを抱えているのに賃金は下がって行く、子どもが育つにつれて教育費は膨らむ。そういう厳しい状況に置かれている人は少なくありません。

フリーターと正社員では、生涯賃金に1億円以上の差が出るそうです。出産によって正社員を辞め、育児が一段落してパートタイム労働をするというのが日本の多くの女性の「M字型就労形態」ですが、生涯賃金という面からはフリーターと極めて似ています。

繰り返しますが、安心して子どもを産み育てることと働くことが矛盾なくできる社会こそが理想です。乳幼児を手元で育てられるような社会になってほしい。
育児休業制度の更なる普及と復帰後のポストの保障を求めて行くと同時に、これが全事業所に行き渡るまでは、行政の「子育て支援」が非常に重要だと思います。
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by ootani-kazuko | 2005-03-04 18:52 | 考えたこと