2005年 12月 08日
学校給食のあり方について考えた
9月議会において「学校給食に弁当の日を設けることについて」という決議がなされた。



「決議」とは強制力を持つものではなく、「議会としての意思決定(アピール)」にとどまるのだが、個々の議員がどんな風に反対しようと、多数決によって議決の宣告があった時点で議会全体の統一した意思ということになる。



この「決議」を受けた教育委員会は、町PTA連合会に対し「一般会員(保護者)の意見を聞いてほしい」と要請。

町教育委員会は「弁当の日を設けること」について校長会、学校評議員、給食センター運営委員会、PTA等々から意見を聞きつつ、17年度中に結論をまとめるとしている。 今は、これら関係する部門の意見を集めている段階だ。



まことしやかに 「週に1回、お弁当になるんだって」 という話が出ているようだが、まだ何も決まってはいない。



この決議文に抵抗を感じるのは私だけではないはずだ。



経済効果を謳いつつ、「食育」という言葉を使って「学校給食の役割は終わった」などと「決議文」に書くのはいいのだろうか。 

学校給食法はどうなるのか。 

先般の国会で制定された食育基本法などにも抵触する部分があるのではないか。 



誤解を招くような決議文と言わざるを得ない。



この決議を、私は「学校給食全般」や「子どもの食」に関することを考えるきっかけと受け止めたい

実際、食をめぐる状況は、思っている以上に深刻だと感じる。

外食(買い食)・偏食・時間の不規則・マナーの悪さ・孤食など、子どもをとりまく食環境は急変していると言っていいだろう。 

食の問題を幅広く議論するのは悪くない。



給食が抱える様々な問題とは何だろうか。

たしかに食べ残し(残渣)が多いのも、考えてなくてはならないことの一つだ。

 しかし学校給食の役割は終わったのか。



「弁当作り」が家庭の教育力を高める方策のひとつとなりうるのか。

「弁当を作ってもらえない子ども」がいるかもしれない。 

それを思うと、私は胸が痛い。



ならば、給食か弁当か選べる選択性は考えられないのか。

考えたり、議論したりすることはたくさんあるのではないだろうか。その中から生まれてくるものが大切ではないのだろうか。



どんな家庭に生まれるか、子どもは親を選べない。 

学校は義務教育の間、行かなければならない場所。

どんな家庭環境にあろうと、学校は、どの子も同じ様に安心して過ごし教育を受けられる場所でなければならないと思う。



学校給食は(様々な問題を抱えつつも)子どもの健やかな育ちを保障する大切な部分だと考えている。




学校給食法


内閣府の食育推進担当ページ


食育基本法

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by ootani-kazuko | 2005-12-08 16:53 | 考えたこと


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